令和2年 10月度 座談会御書 一生成仏抄
一生成仏抄
建長7年(1255年)
三十四歳御作
与 富木常忍
〈本文〉
衆生と云うも仏と云うも亦此くの如し迷う時は衆生と名け悟る時をば仏と名けたり、誓えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり。
日蓮大聖人御書全集 P.384
〈通解〉
衆生も仏も同じ人間です。迷っている時には衆生と名づけ、悟ったときは仏と名づける。例えば曇った鏡も磨くことで輝きを増し明鏡となります。
迷う心は曇った鏡のようですが、これを磨けば明鏡となるように、もともと自分に内在する仏になります。
深き信心で持続して磨くことです。この磨くというのは南無妙法蓮華経と題目をあげることなのです。
〈解説〉
大聖人は衆生も仏もかけ離れた別々の存在ではなく、衆生の「迷い」と「悟り」の心の違いによるものと示されています。つまり自分自身が変われば「迷い」から「悟り」へと変われるということです。
誰しも人生において、ひとたび苦難になると弱気になってしまいますが、その現実をありのままに受止め、御本尊の前に端座し南無妙法蓮華経と唱えることで自身が変われるのです。さらに自身が変われば環境をも変えることができるのが大聖人の現実変革の仏法です。
この現実変革の仏法を池田先生は小説人間革命の主題として示してくださいました。
「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」と。
次に日夜朝暮、懈らずと重ねて強調されているように日々の唱題行の持続が重要となります。これについては池田SGI会長指導選集で詳細に語られていますので、紹介いたします。
「もちろん、何事においても、初めから、〝達人〟にはなれません。さまざまな障壁を乗り越え、また乗り越え、進み続けてこそ、〝達人〟のごとき境涯が開いていく。信心も同じです。自分に負けて、決意がうすれていく場合もある。思いどおりにいかず、あせる場合もある。けれどもともかく唱題し続けていく。願いが叶おうが、すぐには叶うまいが、疑うことなく、題目を唱えぬいていく。そうやって信心を持続した人は、最後には必ず、自分自身にとって。〝これがいちばん良かったのだ〟という、価値ある「最高の道」「最高の峰」に到達できる。すべてが喜びであり、使命であると言いきれる、「所願満足(しょがんまんぞく)の人生」を築くことができる。それが妙法であり信仰の力です。」
ここで重要なのは「願いが叶おうが、すぐには叶うまいが、疑うことなく、題目を唱えぬいていく」とのご指導です。ここで重要なことは負けないということです。
つまり挑戦し続ける生き方を貫くことこそ、一生成仏の根幹ではないでしょうか。
私が悩んでいるときある先輩が激励の言葉をかけてくれました。
「「設ひ・いかなる・わづらはしき事ありとも夢になして只法華経の事のみさはぐらせ給うべし」(兄弟抄)一生は夢、君よ、人生を劇のごとく!勝っても負けても、所詮は役柄です。人生の名優の名演技を期待します!」と。
信心とは勇気の異名なりと、何があっても勇気で自身を奮い立たせ、お題目をあげきって人生の名優の名演技を演じきって、我が人生を謳歌していきましょう!