産湯相承物語(19)

19・日の下の人を生む


 日教本と保田本に見られ御実名縁起にはない記述として、日蓮大聖人のお名前に関する意義付けと日文字に関する記述がある。


 日教本及び保田本が伝える「是」字の解字は単純であり、日蓮大聖人の幼少期の名前と伝えられる是生房の「是」という字が、「日」+「下」+「人」という文字から成り立ち、そのような人が「生」まれたことを表し、そこから「日」=天と考え、日蓮大聖人の出自が「天下人」にあることを連想させようとしたと考えられる。


 『当宗相伝大曼荼羅事』も「是生ト者 日ノ下ノ人ト是ノ字ヲ書玉フ」として同様のことを伝えるが、こちらは「是」の字を分解するだけで、是生の「生」の字については意義付けを与えていない。このことは、是聖房が本来の表記であることからは当然のことであり、これに対し日教本と保田本の成立時には、是生の「生」の文字について、すでに音の通用による表記ではなく、正式な表記と考えられるに至っていたのではないかと推測される。


 しかしながら、このように日蓮大聖人の御生まれを天下人に繋げて解説することは、日蓮大聖人の出自(実父)を旃陀羅、海人とする理解が門下一般に存在していなかったか、あるいは、反対にそのような理解を消し去りたいという衝動が共有されていたかのどちらかであることが考えられる。


 産湯相承の前半では、母の夢に基づき日蓮と名乗った(注1) とされているが、後半の日蓮の名前の意義付けを行う段では、単に名前の由来だけでなく、日蓮大聖人の三徳を強調する内容となっている。


 また、日蓮という名前に関する意義付けと日文字に関する記述は、産湯相承の特色である日蓮大聖人の母の夢とは別に、まるで解説のように後半に記述されていることから、「是」の字を分解して意義付けることはともかくとして、それ以外の部分については、夢物語の成立後に附加されたことが考えられる。


 さらに、『本因妙口決』 も「次に日文字の口伝・産湯の口决・本尊七ケの口伝・教化弘経七箇の伝は別紙の如し」(注2) として、産湯と日文字の伝承を別のものとしてその名称を挙げている。


 これらのことからは、日文字の伝承が出生にまつわる夢物語の伝承と一体のものとされているという点において、日教本、保田本の成立時期が、御実名縁起(の書写の原典)の成立よりも遅いと判断することになると考える。


 なお、立宗宣言後の日蓮という名前に殊更意義付けをしようとする姿勢は理解できなくもないが、一方で、出家自体の必然性、目的、理由等(注3) に全く触れられていないことは、産湯相承の成立時においては、日蓮大聖人の出自については、まだ当然の共通理解があったことによるのではないかと考える。


 日蓮大聖人の出自、すなわちお父上の血統 について考察することは本稿の直接の目的ではないが、出自について『聖人御系図御書』とか『法華本門宗要抄』といった偽書 が作成されていることを考えれば、ある時点で日蓮大聖人の出自が習い失われたことが考えられ、その理由として、日蓮大聖人の出自は直弟子の間ではあまりにも常識的なことであったが故に敢えて記録に留められることがなかったか、あるいは何らかの事情(注4) により積極的に喧伝してはいけない事項として門下に共有され、若しくは、直接言及してはならないとされていたが故にあまり触れられず、世代交代とともに失伝したのではないかと考えている。


 また、仮に、産湯相承が日蓮大聖人の出自についての伝承を広めたり、反対に噂を打ち消したりすることを目的としたものであれば、相伝という形式は伝播の効率性から考えて効果的ではないと考えられる。


 このため、産湯相承は、日蓮大聖人の出自を伝えることを直接の目的としたものではなく、日蓮大聖人の存在の宗教的意義について、実際の出自を下敷きとして語り嗣がれたものが文字化されたと考えられる。

(注1)『行敏御返事』(全p179(断簡1紙現存))では、行敏が「日蓮阿闍梨」に宛てていることから、「日蓮」は阿闍梨号であると考えられている。また、室町時代以前の阿闍梨号は勅宣形式が維持されていたことからは、日蓮大聖人は、立宗時点で勅任の阿闍梨号を有していたということができ、このことは、日蓮大聖人の出自を考える上で重要な意義を持つと考えられる。


(注2)富士宗学要集2巻p84。なお、『本因妙口決』は日興上人の弟子の日順の著作と伝えられるが、成立については争いがある。


(注3)日蓮大聖人の修学の動機は「日蓮此の事を疑いしゆへに幼少の比より随分に顕密二道・並びに諸宗の一切の経を・或は人にならい・或は我れと開見し勘へ見て候へば故の候いけるぞ」(全p1521)と記されており、「此の事」が前後の文脈から、安徳、後鳥羽、土御門、順徳の4人の天皇の逝去、配流を指していることは明らかである。


(注4)本稿の筆者は、日蓮大聖人の出自を高貴なものと考えており、それ故に「教弥高位弥低」(全p339、p529)という教義と矛盾を来すこと、門下の名聞名利を排除すること、出自を根拠に日蓮大聖人を担ぎ挙げ利用すれば謀叛にもなりかねないことから「悪しくうやまわば国亡ぶべし」(全p919)と厳に戒められていたことなどが、出自についての言及を禁じられていた理由と考えている。

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