産湯相承物語(4)

4・法号妙蓮


 保田本、日教本にあって御実名縁起に見られない用語の一つに日蓮大聖人の母の法号とされる妙蓮とのお名前がある。当該部分について保田本は「法号妙蓮禅尼」とし、日教本は「法号妙蓮」として「禅尼」の語を用いず、御実名縁起は法号について記載していない。


このことを、産湯相承の全体の文体の変化と同様に、書写の都度書き漏らされたと考えるか、書写の都度潤色されたと考えるかで、保田本、日教本と御実名縁起の成立の先後の推定が逆転することになる。


 また、御実名縁起に記載がないことについては、後述の「遊女」の記事と同様に書写されなかったと見るか、日教本、保田本に書き加えられたと見るかのどちらかと考えられる。


御実名縁起は不都合な内容は書写しないという姿勢ではあるものの、妙蓮という法号であればそれを書写することについての不都合を想定することはできない。御実名縁起の書写の原典と日教本の書写の原典がほぼ同一の内容であったと仮定すれば、妙蓮、遊女のいずれについても日教本が書写された段階での付け足しか、御実名縁起の写し漏れということになる。


 しかし、「妙蓮」については、書写されなかったのではなく、御実名縁起が書写した原典には、もともと「妙蓮」という記述がなかったのではないかと考えている。このように推測する理由は、後述する「遊女」のように、書写の時点において憚られるような類の用語ではないことに加え、日教本が「法号妙蓮」とし、保田本が「法号妙蓮禅尼」とするように、2本の間においても附加増広が見られることにあるが、それ以上に文献的根拠を示すことは、困難としか言えない。ただし、日教本、保田本にあっても、大聖人のご両親について記述する中で、父の法号を伝えずに母の法号のみを伝えていることから、産湯相承そのものが整理された伝承ではなかったことを窺うことができる。このため、妙蓮という法号が御実名縁起になくても、そのような伝承自体は別に存在したと考えることに抵抗はない。


 なお、仮に、御実名縁起(の原典)、日教本(の原典)、保田本の順に産湯相承の文体が整えられていくという経緯を想定すれば、その過程で、母の法号を妙蓮とする伝承が整えられ、さらにそれに吊られて後代に至り父について妙日 という伝承が生じた可能性を排除できないと考える。


(注)また、日蓮大聖人の父の法号を妙日とすることは日朝の『元祖化導記』 に見ることができるため、母の妙蓮という法号のみを記し、妙日という法号を記さない保田本、日教本は、父の法号を「妙日」とする伝説の成立、伝播よりも以前に成立していたと推測する。

(注)「妙日」は日蓮大聖人の弟子の太田乗明の法号であり(「今の乗明法師妙日並びに妻女は」(全p1012))、弟子と父に同じ法号を付けたとは考え難いことから、おそらく父の法号は伝わっておらず、産湯相承に見られる母の法号の妙蓮と対になるように妙日という法号が後に考え出され、それが『元祖化導記』に収録されたのではないかと考えている。